大谷翔平はなぜ「いつも全力」なのか? 東京五輪を取材をする私が身に染みて感じた“深すぎる理由”

投打だけでなく、走塁でも全力プレーを見せる大谷翔平。
その根底には、
花巻東高校の恩師である佐々木監督からのある教えがあった
「自分たちが生きているうちに、
オリンピックが日本で開催されるなんてすごくない?」
「競技場で見たかったね」 「次にオリンピックが日本に来るのは、
私たちがおばあちゃんになった頃かな」
オリンピックのメディアセンターに向かう道のりで、前を歩く若い女性たちのこんな会話が耳に入った。
多くの人が、東京五輪を楽しみにしていた。そう考えると胸が締めつけられる。
史上初の“無観客オリンピック”
7月8日、東京都には緊急事態宣言が発出され、
それに伴い、東京と埼玉、千葉、神奈川の4都県で行われる五輪の競技が「無観客」で
開催されるとは発表された(その後、北海道・福島も無観客に)。
観戦を楽しみにしていた国内外のファン、選手の家族や友人、その競技に携わってきた人たちが、
会場で声援を送ることが叶わなくなった。
会場にいるのは選手、大会関係者、ボランティア、そして報道関係者のみだ。
緊急事態宣言下という異常な状況、感染数が増加している状況、そして無観客のオリンピック。
それらと、どう向き合ったらいいのだろう。
そう考えたときに思い浮かんだのは、エンゼルスの大谷翔平の姿だった。
大谷翔平が「いつも全力」である理由
大谷はいつも全力だ。 7月18日のシアトル・マリナーズ戦7回の打席。
ファーストの深いところへのゴロとなったが、大谷は猛然と1塁まで走り、タッチの差でセーフになった。
アメリカ人が大谷を愛する理由は、こういった全力プレーにもある。
ヒットの可能性が低いときに諦めてジョギングで1塁に向かう選手、
可能性があってもトライしない選手もいるなかで、ニ刀流で消耗も激しいはずの大谷のプレーは新鮮だ。
少年野球のようなひたむきさを思い出させてくれる。
大谷がそういうプレーをするのは理由がある。
「ベンチ入りした20名はベンチに入れなかった仲間たちの分まで全力プレーする『義務』がある。
ベンチ入りができても打席に立てない仲間もいる。
だからグラウンドに立った者には全力で走り抜ける『義務』がある。『義務』と『権利』。
その言葉を忘れるな」 大谷の出身校、花巻東高校野球部・佐々木洋監督の言葉だ。 大谷だけではない。
花巻東高校出身の選手たちは、卒業後もこの言葉を胸にプレーを続けている。
大谷はマイナーリーグでのプレー経験はない。
高校時代のようにベンチに入れなかった選手と日常的に接するわけではない。
しかし大谷は直接的にベンチに入れなかった選手だけではなく、メジャーに憧れたり、
夢みるすべての野球選手を代表し、
義務(もう体に馴染んでいるはずなので義務と思っているかは不明だが)や責務を果たしていると思う
※引用元 Munber webより