大谷翔平はなぜ「いつも全力」なのか? 東京五輪を取材をする私が身に染みて感じた“深すぎる理由”
“最後の五輪”でも家族は見守ることができない
6月の陸上の全米オリンピック選考会では、家族や友人を対象にチケット販売が行われ、
東京行きを諦めた多くが会場のオレゴン大学ヘイワードフィールドに駆けつけ大声援を送った。
オリンピック行きを決めた選手たちの家族や友人たちに口々にこう言われた。
「私たちは東京に行けないから、代わりにうちの子をよろしくね。何かあったら連絡してね」
東京にいけない無念さ、寂しさ、選手を思う気持ちが強く伝わった。
5回目のオリンピック出場を決めたアリソン・フェリックスは、東京を最後のオリンピックと位置付けている。2004年アテネオリンピックから、すべてのオリンピック、世界選手権でスタンドで観戦した家族は、
最後の舞台を見守ることはできない。最後のオリンピック選考会を終えたフェリックス、
そして家族はトラックで記念撮影を行った。本来ならば東京で撮りたかった家族写真だ。
日本選手の家族も複雑な気持ちだろう。国内のすぐ近くで競技を行なっているのに、
会場に駆けつけることは許されない。
コロナ禍で緊急事態宣言下という事情は理解していても1分、1秒でいいから、
現場で観戦したいと思っているはずだ。
チケットを持っていた人もスポーツを愛し、
またオリンピックを楽しみにしていた気持ちは家族や友人と変わらない。
チケットがなかった人、地方に住んでいる人も、
同じスポーツファンと対面で語り合ったり、盛り上がる場所を失った。
五輪は世界選手権などと比較して、発行される記者証の枚数がとても少ない。
記者証が出なかった日本人記者も多いし、
IOCからの要請で記者の人数を削減した海外の媒体も多い。
記者に与えられた「義務や責務」ははるかに大きい
記者証をもらった記者の多くは特別でも、選ばれたわけでもない。
もちろん努力を重ねて掴んだ記者もいると思うが、
筆者のようにたまたま縁があってもらえたケースも多いと思う。
今回、我々、報道する立場に与えられた義務や責務はこれまでよりもはるかに大きい。
無観客のスタジアムの様子、選手の心情、選手の言葉、息遣い。
東京五輪の抱える問題点、そして開催の意義、問題点。
現場で取材する立場だから見えることも多いはずだ。
それをしっかり全力で伝えていきたい。
※引用元 NumBer Webより